ステージ0 乳がんの記録やその後

40代で乳がん、非浸潤と診断されました。

気になることがあり主治医診察

しばらくぶりの更新。

しばらく乳がんのことを忘れていて、いい調子だと思っていたのですが、人間ドックで、私、乳がん罹患しました、を数回いうことになり、がんだったんだなと思い出した感じです。

その肝心の人間ドックの結果

肺に影。そして白血球減少。再検査要の結果

肺の影は乳がん側だったので、これ、放射線治療のやつね、と思ったりもしたのですが、素人判断放置もよくないと思い、主治医のところへ。

散々、待ったあげく、三分以内診療。

レントゲンをみたもののCTとって呼吸器科へとのことでした。

やはりレントゲンだけでは診断はできない模様。そして、肺は専門外と。

さて、どうなることか。
来週、呼吸器科の先生に会います。

せっかく?主治医に会ったのですが、肝心の胸はどーしたの会話は一言もなし。

年内に保湿剤の処方のために来なさいとか言っていたこと、絶対忘れているなと確信しました。

保湿剤なくても、死なないし、結局、別に何の保湿剤でもよさそうな気もしてきたので、時間節約のため、保湿剤のためだけに行くのはやめるか!と思いました。

マンモトーム生検時の共済金が入金されました

マンモトーム生検も一応手術で保険にもよるらしいですが、私の入っているところは共済金が出るという噂を聞いて申請書を出してみたら

5万円

振り込まれました。

よかったー。

これで、病気関連の申請はいったん終わりです。

共済金として手術、入院、放射線治療で25.5万円が入金されたことになります。

今まで払った保険料と比較するとギリギリ?元を取ったかなという感じです。

その分、貯金しておけばいいという話もありますね。

気圧が変わるときに胸が痛む

放射線治療が終わってから一ヶ月間はちょくちょく胸が痛んだのですが、その後は痛まないなと思っていたら、気圧の変動のときにキューンと痛む。

昔の傷も季節の変わり目に痛んだりしますものね。

これも時期になくなるのかもしれませんね。

温存を決めるときや、した後は、色々と思い悩んだけど(局所再発のリスクね)治療が一段落すると、胸はほぼ元通りだから病気だったことを一番忘れられる方式だったのだと感じます。

遠慮なく取りますから

「手術中にがんをみつけたら遠慮なく取りますから」

温存手術を選んだ私に主治医が言った言葉である。

 

術前、非浸潤という超早期がんの診断でしたが、一方で、術前には乳がんの広がりが確実にはわからないというリスクがあった。

 

そのため、全摘が一番確実であるとも。

 

迅速術中診断(手術中に切り口の3か所くらいにがんが残っていないかクイックに診断する方式)で切り口にがんがみつかったら、さらに先をごっそり切除するし、2回くらいやってもがんがあったら、全摘に切り替えますよ

と言われてのぞんだ手術でした。

 

結局、温存で済んだし、迅速術中診断で結局、がんが残っていたことがあったのかどうかは、聞いていないし、言われていないし、胸は残ったという事実がそれなんだなということで結果オーライである。

そのときは、なんて言い方!と思ったのですが、今となっては、それはもっともなことだなとも感じました。

1ヶ月ぶりの病院 放射線科

放射線科に行ってきました。

一ヶ月ぶりになります。

放射線科は今回で診察は終わりです。

保湿は、と言ったら、好きなものを塗ってくださいと。
乳腺外科の先生は普通のではだめです!と言い、放射線科は放置でOK的な感じでどっちだよ!とも、思いますが、気負わずその辺にある保湿剤を日々塗っておこうと思います。

これが終われば次回、大病院に行くのは来年!
来年、マンモ、エコー、診察、とそれを10年行います。

放射線治療中、五週間も会社を休むことの抵抗がありましたが、あっという間に一ヶ月強が過ぎてしまい(もっと休みたかったくらい!)あっという間に日常に戻り仕事をする日々になりました。