公文の考察
意識が高いご家庭だと年中か年少時にくもんの算数を始めて、3年には中学の範囲まで終わって、受験塾に突入というのが理想的だそうです。くもんを始めてみるとなるほどと思うことが多いです。
まりんは既に3年ですし、今から始めてもその近くにも到達できなさそうなので、公文の算数はしませんでした。
一方で「公文なんてしても」という批判もよくあります。
公文は学習法の一つでしかないと思います。親が子供の学習をみる余裕がないのであれば、公文は選択肢の一つとしてアリだと自分は思います。
まりんは2年で算数の学習を私と始めたときは計算力の遅さはいうまでも数字に対しての感覚(センス?)が非常悪く驚愕しました。
このままでどうなっちゃったのだろうという不安がぬぐえなく、こんなことになるなら、「普通」な子になるために公文算数するべきだったのだろうかと思いました。(今はたいしてそう思いません)
そのためにある時期は私は必死になったので、そのための算数の「保険」と「貯金」としては、公文算数は「あり」かもしれません。
ただ、もし自分がもう一度、まりんを育て直せるとしたら、公文算数はやらせない気がします。
その代わりに年長さんくらいからコツコツ算数の問題は毎日やらせたかなと思います。
公文を子供にさせてみて思うのが、このような勉強方法を親が知っている理解するというのが何よりも大切だと感じました。
逆にこういう勉強方法があるんだと理解し、ある程度のレベルで子供にあわせた形で実行することができれば、公文に通わせる必要はないんだと思います。
くもんのポイントとしては
- 子供が自分でできるレベル
- 量が多い(この量は一度体験する価値あり)
- 毎日する
これだけですが、これを家で実行し続けるのは結構難しいものですが、これができればわざわざ通う必要はないと思います。